【新年早々絶望的状況に身を置いてみる】

おはようございます!福岡市南区のふくだ整体院院長の福田です。

 

 

ボクは楽天的で前向きだと思うけど、

本当に前向きでいられるかたまに自問する。
 
 
本当の前向きとは「どんな状況におかれても」
前向きでいられること。 
 
 
新年からヴィクトール・フランクル著「夜と霧」をパラパラと読み返す。
著者はユダヤ人としてアウシュヴィッツに囚われ、
奇蹟的に生還した人で「強制収容所における一心理学者の体験」(原題)
 
 
これは1946年に出版されたものだから、まだ100年も経っていない時代の話。
一度は読んでみることをおすすめします。
 
 
自分が少し調子が悪いくらいで前向きでいられるのは当たり前。
強制収容所という環境の中でも前向きでいられるか?
少し考えてみる・・・
 
 
著者が、別の著書「それでも人生にイエスと言う」で結論として語るのが、
「人間はあらゆることにもかかわらず-困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、
また強制収容所の運命の下にあったとしても-人生にイエスと言うことができる」
ということ。
 
 
果たして自分は強制収容所の運命の下でイエスと言えるか・・・考えてみる。
たぶん言えない・・・
 
 
著書の中で注目すべきが、この絶望的な状況でしかも無作為に殺される状況の中でも
希望を失わなかった人のほうが生きる確率は高かったとのこと。
生きる希望をなくした人から死んでいったこと。
    
 
「世界は悪くなっている」
という声を聞くがそんなことはないと思う。
 
 
世界はドンドン良くなっていると思う。
この強制収容所の話はたった80年前のこと。
こういう施設はこれから作られることはないでしょう(たぶん)。
 
 
江戸時代には日本でも食べることが出来ない家は子を売り、親を捨てていた。
まだ150年ほど前の話。
 
 
世の中は悪くなっていない!
ドンドン良くなっている!
 
 
新年早々、絶望的状況を想像しながらも、
世の中はドンドン良くなっていると前向きに楽天的に期待している。

 

PSフランクルの人生についての考えが深いです。

著書の中でフランクルが人生について書いているのが、
人生に意味を求めることがそもそも誤っている。
人生こそが私たちに問いを提起しており、苦難と死こそが人生を意味あるものにする。
どのような事実であっても、その事実にどんな態度をとるか、
それによって生きる意味を見い出すことができる。

『ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。
わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、
生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、
ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。

哲学用語を使えば、コペルニクス的転換が必要なのであり、
もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、
わたしたち自身が問いの前に立っていること思い知るべきなのだ。

生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
わたしたちはその問いに答えを迫られている。

考え込んだり言辞を弄することによってではなく、
ひとにえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。

生きるとはつまり、生きることの問いに正しく応える義務、
生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない』




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